読谷村のガマ

読谷村にあるちびちりガマとシムクガマ。
読谷村観光協会のガイドさんにお願いしてたっぷり2時間半、現地でお話を聞かせてもらった。8歳の夜迦には少々刺激的だけど、沖縄に来て沖縄戦を知ることの意味は大きいなぁ。。と。

本島だけでも2,000もの自然洞窟『ガマ』があり、実際に住民らが避難に使ったガマは240カ所ほど。戦時中そのガマへ逃げ込んだと言う。
1945年(昭和20年)4月1日の朝に、米軍は上陸作戦を開始。艦船1400~1500隻、兵員約18万3000人、補給部隊を含めると約54万8000人の大軍が、ここ、読谷村の海岸から一斉に押し寄せたと言う。真っ黒に染まる海岸の写真を見せてもらった。
翌日4月2日、このちびちりガマへ避難していた140人の住民のうち83人が、アメリカ兵の残虐な仕打ちを恐れて、肉親で殺しあうという残酷な「集団自決」(集団死)が行われてしまったという。
ガイドの又吉さんのリアルな語りに背筋が凍り、80年前にタイムスリップしそう。
そこから1キロほど離れた所にあるシムクガマは見学のため中に入ることが可能。真っ暗な中、懐中電灯で突き進む。大きいガマとはいえ中には川が流れていて、オウトツもは険しい。このガマに波平地区の住民約1千人が避難していたとは。。。絶句。上陸したその日にアメリカ兵はあっという間にやってきてしまった。銃を構えて洞窟入口に向かってくると、洞窟内は大混乱に。
その時、ハワイからの帰国者、比嘉平治さんと比嘉平三さんの2人が、「アメリカ人は人を殺さないよ」と、騒ぐ避難者たちをなだめ、1千人前後の避難民の命が助かったというストーリーを話してくれた。

私も奄美時代に何度か行った沖縄で、ガマへも来たことがある。とにかく暗くて怖い。。。という記憶。その時にガマに連れて行ってくれた読谷村在住の知花昌一さんが、沖縄国体で掲揚された日の丸を引き下ろし、焼き捨てた。という衝撃の話が胸に焼き付いてる。確かムガリ(私の育ったコミューンの家)の本棚に『白地も赤く百円ライター』という知花さんの本があったなぁ。。というのもぼんやり思い出した。
(知花さんはその後、読谷村役場の村議員をし、現在僧侶になっているとか。)

時間を超過してまで本当に丁寧に、鮮明に沖縄の戦争を語ってくれたガイドの又吉さん。別れ際に険しい顔で『戦争の足跡が聞こえてくる。。とあの時代を知っているおじいおばあはいってるよ。』と教えてくれた。
戦後80年の今年。この地で起きた地獄絵図を語り伝え続けていくことの重要性を感じる。

読谷村観光協会
https://www.yomitan-kankou.jp/tourist/watch/1611319972/