TSUGARU-SHAMISEN

TSUGARU-SHAMISEN

楽器の特徴と歴史について

日本を代表する伝統楽器「津軽三味線」
細かく複雑な音色、打楽器的な迫力ある音色、即興的な音楽性、東洋独自の残響音。その3本の弦には、日本人の音に対する感覚が刻み込まれている。

津軽三味線とは

津軽三味線は、Japanese Drumと呼ばれる和太鼓と並んで、現代日本において最も受け入れられている伝統楽器の一つであり、毎年全国大会や世界大会が開催され、多くの若手アーティストを輩出している。

津軽三味線奏者と有名なバンドやお笑い芸人とがコラボし、アルコール飲料のCMソングとなった

演奏方法について

奏法的には、撥を胴に叩きつけるように弾く打楽器的奏法や、左手の細かい運指によってテンポが速く音数の多い音、さらに三弦の中で最も太い一の糸による重低音に特徴がある。また、津軽三味線の楽曲(民謡)は基本的に口伝によって師匠より伝承され、演奏時も即興性が重視される。

ギターのフレットのように押さえる場所が記されていないため、勘を頼りに18あるツボ(勘所)を正確に押さえる技術が求められる。

独特な撥の持ち方と使い方をマスターすることで、撥の角度や叩く糸の場所、力の入れ方によって音色を変えられるようになる。

津軽三味線の誕生

さかのぼれば、いまから450年前に中国から三弦の弦楽器「三味線」が日本へ渡り、17〜19世紀にかけてに栄えた、歌舞伎などの日本の町民文化を音楽面で支えた。その三味線が日本本島の北の端である津軽地方(現在の青森県西部)に伝わり、そこでボサマと呼ばれる盲目の旅芸人たちの手によって独自に改良され「津軽三味線」となった。

KABUKI — Kabuki (歌舞伎) is a traditional Japanese form of theater. It is recognized as one of Japan’s three major classical theaters along with noh and bunraku, and has been named as a UNESCO Intangible Cultural Heritage.

津軽三味線を生んだ「ボサマ」とは?

日本には、20世紀の中ほどまで三味線芸によって生活の糧を得ていた盲目の芸人たちがいた。彼らは、家々をまわっては玄関口に立って三味線を弾き、わずかばかりの金品や米をもらって生活していた。津軽三味線が生まれた津軽地方では、そういった盲目の旅芸人たちのことは「ボサマ」と呼ばれた。そして、彼らは身分的に最下層に位置し,地元の人たちからは乞食扱いされる存在であった。掘っ建て小屋に暮らしながら雪深い地方を歩いて旅したボサマたち。彼らは、他のボサマよりも目立つために高度な技術を追求し、三味線もより大きな音が鳴るように改良した。そうして津軽三味線は独自の発展を遂げ、三味線から独立して独特の音文化を作り上げていった。
津軽三味線の誕生は、政府から見放され、住民から見下されてきたボサマたちが三味線一挺によって生き残っていくための、文字通り必死の創作の結果であったのだ。

ボサマは記録にほとんど残っていないため実像は詳しく分かっていない。以下の写真は、1950年頃まで新潟地方を中心に活動していた「瞽女」と呼ばれる盲目の女性旅芸人のグループである。

一地方芸から、日本を代表する和楽器へ

津軽三味線の原型である「三味線」は、伝来してから300年の間に舞台芸能から風俗まで幅広く庶民の間に浸透し、日本を代表する楽器となった。しかし、武力革命によって樹立した新政府(1868–)は、欧米諸国に追いつくため産業の近代化や文化の欧化政策を推進し、その一環として三味線は文化や芸術、教育などあらゆる分野において取り除かれていった。そうして廃れていった三味線とは相反して、アンダーグラウンドに位置していた津軽三味線は津軽地方の庶民の間で生き抜き、その楽器的な特徴や時代背景、そして演奏者たちの努力が重なり、一地方芸であった津軽三味線は、ついに日本を代表する楽器となった。

高橋竹山(1910–1998)
青森の農村出身。幼い頃に風疹をこじらせ失明し、ボサマから三味線と唄を習って、17歳の頃に門付け芸人となる。数多くの津軽民謡を三味線曲として編曲し、一地方芸に過ぎなかった津軽三味線を全国に知らしめた。「最後のボサマ」とも呼ばれる。

参考文献

・大條和雄「津軽三味線の誕生」新曜社.1995
・鈴木昭英「越後瞽女ものがたり」岩田書院.2009
・高橋竹山「津軽三味線ひとり旅」中央公論新社.1991
・田中健次「図解日本音楽史」東京堂出版.2008
・月溪恒子「日本音楽との出会い」東京堂出版.2010
・「日本の音楽」『別冊太陽』1991年 AUTUMN.平凡社

写真引用元

1.「キリン氷結」CM公式サイト
2.武蔵野音楽大学WEB楽器博物館
3.「イベント21」より(http://event21.co.jp/mus_002.htm)
4.武蔵野音楽大学WEB楽器博物館
5.「新版江戸三芝居之図」喜多川月麿画.国立劇場所蔵
6.田中健次「図解日本音楽史 p189」. 東京堂出版.2008
7.左.国立文楽劇場講演記録写真
7.右.2017年4月8日産経WEST
8.『勧進帳』文化デジタルライブラリー
9.「欧州管弦楽合奏之図」文化デジタルライブラリー
10.教育の世界を考えるブログ(http://www.iraqhealth.net/kyoiku-bunya/51.html)

11.茨城県古河市水海小学校ホームページ(http://mizuumi.koga.ed.jp/)
12.東京大学教養学部所蔵資料
13.大阪大発見(http://www12.plala.or.jp/HOUJI/index.html)
14「津軽三味線高橋竹山の世界(CD)」
15.「東海道五拾三次 二川 猿ケ馬場」歌川広重.文化遺産オンライン
16.鈴木昭英「越後瞽女ものがたり p.40」岩田書院.2009
17.市川信夫所蔵
18.鈴木昭英「越後瞽女ものがたり p.103」岩田書院.2009
19.鈴木昭英「越後瞽女ものがたり p.40」岩田書院.2009
20.鈴木昭英「越後瞽女ものがたり p.39」岩田書院.2009
21.鈴木昭英「越後瞽女ものがたり p.32」岩田書院.2009
22.鈴木昭英「越後瞽女ものがたり p.76」岩田書院.2009
・歌川広重「東海道五拾三次 二川 猿ケ馬場」

PROFILE of UMA EBINA


鹿児島県奄美大島出身。16歳のとき高橋竹山の津軽三味線を聞き、その音色の美しさと激しさに惹かれ、津軽出身の蝦名伴主氏に師事する。その後二十数年間続く修行生活の中で津軽三味線ほか、尺八と唄、民謡太鼓を修得。2011年3月に福島原発事故による放射能の影響を恐れ埼玉から母子避難。現在、岡山県瀬戸内市の自宅で民謡教室をひらきながら、県内外のさまざまなイベントで演奏活動を行う。また、福島の子どもたちを岡山へ招く「せとうち交流プロジェクト」を立上げ、2012年より、毎年夏に保養キャンプを開催している。

Live performance 

Tsugaru-shamisen solo with japanese drum

Japanese Folksong Medley with daughters

Okinawa Sanshin with Dance

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