福島原発20キロ圏内へ。

3.11後の福島へは、三味線の演奏で何度か行きましたが、今回初めて大熊町〜双葉町〜浪江町〜飯館村など、原発20キロ圏内へ。
ダニーさんや私の母達が3.11直後から立ち上げ活動している『原発とめよう秩父人』の企画。『福島原発20キロ圏内ツアー』に参加しました。

秩父人のスタッフと共に、北は山形、南は熊本まで。30代〜80代の40名ほどの参加者との1泊2日の旅でした。
みよ子さんの南相馬なまりのバスガイドが素晴らしかった。埼玉に避難移住してしている、双葉町出身の久江さんが帰れぬ故郷を思い、語る言葉の切なさ。
福島の美しすぎる新緑の山々、そこに何万ベクレルという値の放射性物質があること、バスから眺める景色に涙が溢れるばかりでした。

自ら村を歩き、ガイガーカウンターに映し出される、今この場所の線量を目撃すること。
地元の方にお話を聞き、繰り返し測定し、丁寧に作られた美味しいとみ子さんのご飯を頂き、飯館村の村議、八郎さんや、浪江町出身で、元女川原発の作業員の寿美雄さんと酒を酌み交わし共に過ごす時間。かけがえのない時間だった。

中間貯蔵施設や長泥の線量の高い所へはバスから降りることができなかった。
除染の行き届いた場所以外の、溝や山際などは、とても線量が高く、モニタリングポストの数字に怯えた。
ここは人間が、生き物が来ていい場所ではない。もう何百年も間、封印するしか方法はないんじゃないかなぁと思う。
たとえ除染を繰り返しても、覆っても、そこにある物質は流れ出てくるかもしれない。地震が起きたら外に飛び出すかもしれない。高濃度の汚染土はいつまでもそこにあるのだから。

飯舘村で暮らす伊藤さんは、たくさんの線量計を胸ポケットに入れ、村の隅々まで細かく記録し続けている。伊藤さんに聞くリアルな今の福島、飯館村。安全に暮らせる未来は何百年も先の話。気の遠くなる現実だった。

中間貯蔵施設でもっともらしく語られた『汚染土の再利用』。8,000ベクレル以下の汚染土が、今後私たちの住む場所にくるかもしれない。
事故は全く終わっていない。放射性物質は大量の放射線を放出し続け、全世界の海へ垂れ流され、汚染土までばら撒かれようとしている。
私たちが声を上げて阻止していかなくては。

『そんな線量の高い所に行かないでください』『バスから降りないでね』『会いに行きたいけどそこへ行くのは恐いです』と福島から保養に来るお母さんたちから忠告がありました。

多少は被爆したかもしれない。でも、今回のツアーで得たものは計り知れない。
行った人からの話を聞くのと、自ら行って感じることのこの差!!まさに『百聞は一見にしかずツアー』と命名したいくらいです。
こんな素晴らしい旅の企画をしてくれた、原発とめよう秩父人のみんなに感謝✨🙏✨

これから少しづつ報告していきます。春保養の報告冊子でも、福島ツアーについて写真付きでお伝えする予定です。
とりあえず岡山に帰って一休み。