竹でつくられた縦笛「尺八」 シンプルな構造から生み出される、自然と調和した音色 その音色の奥に秘められた謎多き歴史をのぞいてみると、 尺八が、ときの政府や宗教と密接に関わってきたことが伺える。 宗教曲から民謡、現代曲までカバーする尺八の奥深き世界
もくじ
尺八とは
尺八とは、竹でつくられた日本を代表する木管楽器である。竹を切って節を抜き、5つの穴を開けただけの単純な縦笛であるが、約3オクターブの音階を出すことができる。また特殊な技巧によって、風の音や小鳥のさえずりのような自然界の音色を表現できる。5つの穴しか持たない尺八でこのような多彩な音を表現するために、歌口への息の吹き付け方(尺八はリードはない)、顎の上下動、そして手孔の半開や微開の三者を組み合わせる技術が要求される。また演奏者は、演奏ジャンルや楽曲のキー、そして歌い手の声の高さによって様々な長さのもの使い分ける。
尺八の歴史
唐楽と尺八
現代の尺八に通じる基礎的な構造が確立したのは7世紀頃の中国であると言われている。 当時の中国では尺八は宮廷の娯楽音楽(唐楽)のための楽器として主に用いられた。当時の日本の朝廷は中国の文化や政治制度を積極的に取り入れており、尺八(古代尺八)による唐楽の演奏も様々な公的行事で行われるようになった。記録に残る日本で最初に演奏は、702年1月15日に催された朝廷の宴の席で、渡来系(高度な技能を伴って中国や朝鮮から移住してきたもの)の楽人たちが、天皇や大臣たちの前で演奏したものである。
能などの新興芸能における尺八
10世紀頃になると、日本独自の音楽文化が成熟してくるにつれて、日本の音階に合わない古代尺八は唐楽とともに衰退し、手孔の数が減るなどの改良が行われた。そして朝廷の力が弱まったことによって、芸能文化も貴族社会中心のものから、能(日本の古典芸能の一つで、舞踊や音楽が中心の歌舞劇)などの庶民も楽しめるものへと広がっていった。これら新たに生まれた芸能の中で、改良された尺八が伴奏楽器として吹かれるようになった。
民謡の吹奏や三味線・琴との合奏
改良された尺八(一節切)は次第に庶民の間で唄われていた民謡の伴奏にも用いられるようになり、16世紀中頃に日本本島に伝来した三味線との合奏なども盛んに行われ、17世紀後半には尺八は庶民の間で大流行した。しかし、三味線の流入によりほとんどの邦楽や民謡が半音を多用する音階へと変化し、この音階の演奏に不向きであった一節切の尺八は急速に衰退した。
虚無僧(こむそう)の法器として
15世紀頃から、托鉢のために尺八を吹きながら各地方を歩いてまわる芸能者が現れはじめ、そのなかに、仏教との結びつきを深めていったグループがあった。彼らは尺八の吹奏を座禅と並ぶ悟りをひらくための修行の一環として捉え、尺八を法器(仏教の道具)とした。江戸時代(1603-1868)入ると、幕府によって藩をつぶされ職を失った武士階級の一部がこのグループに加わり、虚無僧として全国的に知られる存在となっていった。 この時代に虚無僧たちが残した尺八曲はのちに編集され、「古典本曲」というジャンルとしていまもなお残されている。
現代邦楽曲と尺八
明治時代になると、虚無僧は還俗をせまられ、同時に尺八で托鉢することも禁止となった。尺八からその宗教性が取り除かれ、純粋な楽器として三味線や箏との合奏を中心に発展していった。また、西洋音楽が大々的に流入しはじめたことによって、邦楽と西洋音楽との融合を目指した多くの尺八曲が新たに制作されるようになり、技巧的な現代邦楽曲に対応するため、孔の数を増やした尺八が生まれるなど、現代においても尺八は改良され続けている。 一方で、明治時代に新たに導入された学校の音楽教育は西洋音楽教育が中心であり、それが遠因となって尺八による邦楽曲や民謡の演奏は、日本人の間では特殊なジャンルとして認知されているのが現状である。
尺八演奏の動画
参考文献
・上野堅実「尺八の歴史」出版芸術社.1992 ・山口正義「尺八史概説」出版芸術社.2005 ・泉武夫「竹を吹く人々」東北大学出版会2013 ・葛山幻海「まるごと尺八の本」青弓社2014