日本の民謡について

長い時間をかけて民衆たちによってつくられ、口から口を経て伝えられ、うたわれてきた歌。その多くが農業、林業、漁業などの労働をする上で唄われてきた労作歌であり、とくに稲作に関しては、田植えや稲刈りなどの作業工程別に細分化された歌が残されている。
民謡には、必ず囃子詞がついている。囃子詞とは歌をひきたてるために、歌詞の本文に挿入された短いことばのことで、意味はなくジャズのスキャットに近い。民謡は、江戸時代になって三味線による伴奏が入るまではずっと無伴奏が当たり前であったので、民衆たちはこの囃子詞にのせて唄っていた。同時に、農業などの労働集約型の労働には、みなの力を合わせる作業がつきものであり、労働者たちは囃子詞やかけ声を合図にしていた。

また民謡は、子々孫々と時代をへて伝承されていくだけでなく、うたが生まれた域内にとどまらず、日本の東西各地にひろがり、土地土地に合わせて変化し定着していった。封建社会で人々の移動の自由が制限されていた江戸時代、各地の歌は行商人や旅芸人たちが歌の運び屋の役割を担っていた。
たとえば、「ハイヤー」と歌い出すのが特徴の「ハイヤ節」は、全国21カ所に同じ系統の民謡が存在する。九州の天草地方の漁師たちが歌い始めたと言われるこの民謡は、海上輸送を担った帆船の船乗りたちが、遠く1500km先の北海道まで港づたいに伝えていった。この時代の海上輸送は、荷物の積み降ろしや、風や潮の流れを待たねばならないため港での逗留時間が長く、周辺の遊郭や酒屋などに遊びにいった船乗りたちが伝え聞いた歌をうたい、それが歌文化の伝播となったと言われている。津軽三味線発祥の地の青森県の代表的な民謡「津軽あいや節」もこの「はいや節」の系統である。

参考文献
・田中健次「図解日本音楽史」東京堂出版.2008

写真引用元
・豊後高田市観光まちづくり株式会社
・紅葉情報2017
・瀬戸内ファインダー
・野辺地町ホームページ