乙倉さんとの突然の別れ

岡山へ移住して間も無く12回目の春を迎えます。

3.11。壊れた原発から少しでも遠くにと母子で辿り着いた岡山は、90歳の祖父以外知り合いもいなく、無一文の私には孤独の地だった。

移住して数日経った頃、『うちの町内会で津軽三味線を弾いて欲しい』と一本の電話があった。
自分も太鼓叩きなので一緒にコラボしたいなぁ。。。と、そう声をかけてくれたのが和太鼓奏者の乙倉俊さんだった。

意気投合して、レッスン室で色々な曲をセッションしては盛り上がった。
岡山の地で知り合った最初のアーティスト仲間。沢山のイベントで一緒に演奏して、即興じょんがらと和太鼓のコラボをおはこにし、北は福島、南は台湾へとツアーへも行った。
第一回目の保養から手伝ってくれて、寄付もいっぱい集めてくれた。
3人の娘たちをとても可愛がってくれて、白髪のロン毛を三つ編みしてもニコニコ笑っている優しい人だった。

8日水曜日の朝、5月に乙倉さん主催で行われるイベントについてメールのやり取りをしていた。
『時間は長くなってもいいから、宇摩さんと私のコラボもしたいです』そうメールをもらって翌日。乙倉さんは私からの返信を待たずに9日木曜日の朝、サヨナラも言わずに旅立ってしまった。

死因は心筋梗塞。
何の予兆もなく。突然のお別れ。

サヨナラに行ったら、不似合いな棺桶に横たわり、乙倉さんはただ、静かに眠っているだけだった。これは現実かな?夢かな?コントかな?
お決まりの空色のステージ衣装を身に纏い、ドラムのスティクを携え。おととい、煙となってあっという間に空高く登って行った。

空を見上げ手を合わせていたら、『乙倉さんはいいひとだから天国に行くよ』と6歳の娘・夜迦がとなりで手を合わせていた。

あっけない別れ。
3日前にメールのやり取りをしていた人がもう灰に?やっぱりどう考えても信じられない。

もう二度と一緒にステージに立つことは叶わないなんて。
もう直ぐ出会って12年の春だったのに。

あっけなく思い出の中に閉じ込められた。