「津軽三味線の歴史」と題して、三味線が大阪の境港に入ってから津軽三味線へと発展していく450年の歴史をまとめました。
江戸時代に栄えた数々の芸能を支えた三味線、そして琵琶法師(後年は琵琶ではなく三味線で浄瑠璃を語っていた)や瞽女、津軽のボサマと続く旅芸人たちの芸を支えた三味線。
よく知った日本の歴史を三味線という角度から眺めてみることで、いつもと少し違った日本史の側面が浮かび上がってくるなぁと、書きながら感じました。
ご笑覧ください。
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日々の暮らし umaebina
「津軽三味線の歴史」と題して、三味線が大阪の境港に入ってから津軽三味線へと発展していく450年の歴史をまとめました。
江戸時代に栄えた数々の芸能を支えた三味線、そして琵琶法師(後年は琵琶ではなく三味線で浄瑠璃を語っていた)や瞽女、津軽のボサマと続く旅芸人たちの芸を支えた三味線。
よく知った日本の歴史を三味線という角度から眺めてみることで、いつもと少し違った日本史の側面が浮かび上がってくるなぁと、書きながら感じました。
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蝦名宇摩 / 奄美大島出身 / 岡山県瀬戸内市在住
津軽三味線 / 民謡弾語り / 三線 / 奄美の島唄 / 尺八
瀬戸内市の自宅にて民謡教室をひらきながら、県内外のイベントにて演奏活動を行う。
津軽三味線のみならず、さまざまな和楽器を織り交ぜる演奏スタイルをとる。芸歴20年の間にのべ1000本以上のライブ実績。
2011年の原発事故による放射能の影響を恐れ、2人の子どもとともに埼玉県から岡山へと母子避難。2012年より、福島の子どもたちを岡山へ招く「せとうち交流プロジェクト」を開催。