新潟県上越市にある日本唯一の瞽女さんの資料館、『瞽女ミュージアム高田』へ行ってきました!
瞽女さんとは盲目の女旅芸人のこと。室町時代から全国に存在し、三味線を弾き、唄を唄い、自立して生計をたてていました。
ここ高田にはかつて瞽女の家があり、最盛期(明治半ば)には17軒89人が暮らしていたそう。(当時、新潟県には700人ほどの瞽女さんがいたとか)
およそ15キロにもなる重い荷物を背負い、年間300日巡業したと記録されていました。
生活の為の音楽の旅音楽での楽しい暮らしなんてそんな呑気なこと言って三味線を弾いてる私の軽さったら。。。蹴りをいれたくなるね
明治維新に急速に衰退した瞽女の世界。「近代化」の名の下に、「芸人」への締め付けは厳しくなり、『瞽女禁止令』まで。あれよという間に各地の組合は解体に追い込まれ、これに加えて高度経済成長期に入り、TVやラジオの普及と共に社会や生活様式が変化する中、瞽女の唄う唄は「古い唄」と認識されるようになり、次第に時代に取り残されたとか。
でもたった数十年前まで瞽女さんはいたんだね。そんな壮絶な暮らしが、私達の奏でる三味線のルーツに間違いなくあったんだもんね。
それはやっぱり心のどこかにとどめておきたいし、やっぱりもっともっと知りたい!!
日本中に居た瞽女さんはどんな音楽を奏でていたのか?鼓、三味線、胡弓、民謡を日本中に伝えた瞽女さんのことをもっと深く知りたいなぁ。
そうそう!館内の至る所に飾られている画は、高田瞽女を絵で記録した画家・斎藤真一さんのもの。
津軽三味線の本の表紙になっていたので見たことがあったのだけど、この方倉敷出身と聞いてびっくり!
月夜に歩く瞽女さんの画がなんとも素晴らしかった。