2017年6月5、6日に瀬戸内市と備前市で講演してくださるダニー・ネフセタイ氏のインタビューが5月18日の朝日新聞デジタルに掲載されました。
埼玉県皆野町の工房でちゃぶ台を作る手は、かつてイスラエル空軍機の操縦桿(かん)を握っていた。日本で暮らし35年。ユダヤ人のダニー・ネフセタイさん(60)は、「共謀罪」法案の成立が迫り、原発の再稼働が続く日本と、「戦闘は仕方がない」という空気が漂う母国を重ね、平和や原発をテーマに講演を続けている。 子ども3人は巣立ち、妻の吉川かほるさん(58)と手作りのログハウスで暮らす。本職は幼児の遊具から机までをつくる家具職人だ。 1957年、イスラエルで生まれた。小学校の校庭には戦闘機が置かれ、戦没した卒業生の顕彰碑があった。男女とも徴兵される国。小学4年時に勃発した第三次中東戦争では、予備役だった父も参戦した。軍がヨルダン川西岸やガザ地区などを占領すると、戦争前の境界線は教科書から消え、元から母国の土地だったように教えられた。 高校卒業後、あこがれの空軍パイロット候補生として入隊。19歳で戦闘の訓練機に乗り込んだ。教官は言った。「君がこの機械を使いこなせれば、イスラエルの子どもたちが毎晩安心して眠れる」。パレスチナの子どもたちが眠れなくなるとは、想像もしなかった。 結局パイロットになれず、特殊レーダー部隊に転じて兵役を終えた。旅行で79年に初来日。翌年にかほるさんと出会って以降、ほぼ日本で過ごしてきた。 母国は武力攻撃を繰り返した。日本にいて「戦争による解決なんてあり得ない」と思う一方、「イスラエルがやるからには理由がある」と信じたかった。 転機は2008年末から3週間にわたったガザ攻撃。子どもら1400人のパレスチナ人が犠牲になった。母国ではリベラルな友人でさえ「仕方がなかった」と肯定した。「彼らがどんな人かわかるだろう」と戦闘訓練するパレスチナ人の子の写真も送られてきた。だが、入隊前に軍服姿で訓練を受ける母国の子も同じではないか――。信じてきた「正しい戦争」が崩れた。 日本の若者に「ガザ攻撃について話して」と頼まれ、09年に「平和への願い」と題して講演を始めた。11年からは「原発危機と平和」に演題を変えた。東京電力福島第一原発事故の後も原発の再稼働に向かう日本の姿と、「ベストではないが仕方がない」と戦争が肯定的に語られる母国が重なった。軍需産業と原発産業。どちらも有事には多くの人が犠牲になるのに、「精度の高さ」や「より安全に」と追求する。その膨大な力を原発以外の道や平和に向けられないか。 そんな思いを込め、昨年12月に初の著書「国のために死ぬのはすばらしい?」(高文社)を出版。アウシュビッツ(ポーランド・オシフィエンチム)で生まれた祖父、自殺した父のこと、母国の歴史もつづり、「日本も、疑問を持って考える力を奪われていない?」と問いかけた。 17日にも関西電力高浜原発4号機が再稼働し、「共謀罪」法案の採決も迫る。国内各地で講演を続け、6月に岡山や広島も巡る。100年使える家具と、自由な営みを次世代に伝えたいと思っている。(荻原千明) |